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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)10973号 判決

原告 株式会社 日東

右代表者代表取締役 中尾箕乗

右訴訟代理人弁護士 江藤馨

被告 朝倉敏雄

右訴訟代理人弁護士 富永義政

同 楠本博志

同 塩津務

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金五〇〇万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因および被告の主張に対する答弁として次のとおり述べた。

(一)  原告会社は、研削砥石、切断砥石、研磨材、研磨紙布等の製造販売を目的として昭和三〇年五月二四日設立された株式会社であり、その得意先として訴外日本車輛製造株式会社(以下「日本車輛」という。)を有していた。

(二)  被告は、原告会社設立以来その代表取締役であったが、かねて報酬に不満を抱いていたことから、原告会社をやめて同会社と同業種の会社を設立し、原告会社の最良の得意先である右日本車輛などと取引をしようと企て、原告会社の他の取締役らの承認も受けないで、昭和四二年七月二八日原告会社と同種の営業を目的とする訴外日東機鋼具工業株式会社(以下「日東機鋼具」という。)を設立してその代表取締役に就任し、同月三一日原告会社に到達した書面による意思表示をもって一方的に原告会社の代表取締役および取締役を辞任した。このようにして、被告は日東機鋼具の代表取締役として日本車輛等に対し原告会社の営業の部類に属する研磨材等の販売をはじめ、現在に至っている。被告のこのような行為は、自己の利益をはかるために原告会社代表取締役の地位を利用してその最良の得意先を奪ったものというべきであり原告会社の取締役としての善管注意義務または忠実義務に違反する。

(三)  被告の右の違反行為により、原告会社は日本車輌と取引できなくなり、そのため金七、九四四、九四九円の損害を被った。すなわち、原告会社は、日本車輛との取引によって、昭和四一年四月一日から昭和四二年三月三一日までの営業年度一年間に別紙損益計算書記載のとおり、金九六三、八四四円の純利益をあげていた。そして、日本車輛に対する売上高は毎年順調に増加しており、昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日までの一年間の予想純利益額は約金一七〇万円と見込まれていた。したがって、原告会社は日本車輛との取引により一年間に少くとも金一〇〇万円の純利益をあげ得たはずであり、また右取引は今後一〇年間は継続されたはずであるから、結局原告会社は、被告の右の行為によって一年間金一〇〇万円の得べかりし利益の一〇年間分合計金一、〇〇〇万円の損害を被ったことになるところ、これをホフマン式複式年毎方式によって中間利息五分を控除すると、右損害額は金七、九四四、九四九円となる。

(四)  よって、原告は被告に対し、商法第二六六条第一項第五号にもとづき、原告会社の被った損害金七、九四四、九四九円のうち金五〇〇万円の支払いを求める。

(五)  原告会社取締役中尾が日東機鋼具と日本車輛の取引につき承諾を与えたことは否認する。

二、被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、「請求原因(一)の事実は認める。同(二)の事実は、被告が、原告会社設立以来その代表取締役であったこと、昭和四二年七月二八日原告会社と同種の営業を目的とする日東機鋼具を設立してその代表取締役に就任したこと、同月三一日原告主張の書面による辞任の意思表示をしたこと(ただし、被告はそれ以前にも既に辞任の意思表示をしている)ならびに日東機鋼具の代表取締役として日本車輛等に対し研磨材等の販売をはじめたことは認めるが、その余の点は否認する。同(三)の事実は不知。」と述べ、次のとおり主張した。

昭和三七年六月頃、原告会社は倒産しかけたところ(当時代表取締役であった被告が取引先から五〇〇万円の資金を導入したので倒産は免れた。)、原告会社の債権者であった訴外中尾箕乗(現在の原告会社代表取締役)が原告会社の経営に参加することとなり、取締役経理部長として原告会社に入社した。ところが、中尾は、昭和三八年七月頃から実質上原告会社の経営権を掌握し、代表取締役印、手形帳、小切手帳等も同人が保管するようになり、昭和四二年に入って原告会社の業績が上昇し経営状態が安定するや、同年六月二二日被告に対し自分が代表取締役になると申し述べるに至った。

そこで、被告は、原告会社に代表取締役を二人置く必要はないし、また中尾が代表取締役に就任し被告が単なる取締役になると、得意先等から経営状態に疑念を抱かれるおそれがあるので、いっそのこと自分が原告会社をやめようと考え、昭和四二年七月一八日、中尾に対し口頭で辞意を表明し、同月二五日辞任届を提出した。

そして、その際、被告は中尾に対し、原告会社から退職金をもらうことは期待できないので、新たに会社を設立して生計を立てなければならないが新会社が原告会社の得意先である日本車輛外一社と取引することを認めてほしい旨申し出たところ、中尾は新会社が日本車輛と取引することを承諾した。そこで、被告は日東機鋼具の設立に着手したが、原告会社が被告の辞意を認めながらなかなかその登記手続をしないので、改めて書面で辞任の意思表示をした。かくして、被告は日東機鋼具を設立し日本車輛と取引をはじめたのである。したがって、被告が原告会社をやめて日東機鋼具を設立し日本車輛と取引をはじめたことは、被告の原告会社の代表取締役および取締役としての注意義務・忠実義務に何ら違反するものではない。

三、証拠≪省略≫

理由

まず、原告主張の責任原因について判断する。

(一)  請求原因(一)の事実、被告が、原告会社設立以来その代表取締役であったこと、昭和四二年七月二八日原告会社と同種の営業を目的とする日東機鋼具を設立してその代表取締役に就任したこと、同月三一日原告会社の代表取締役および取締役を辞任し、日東機鋼具の代表取締役として日本車輛に対し研磨材等の販売をはじめたことは当事者間に争いがなく、これらの事実と≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。

1、原告会社は、研磨砥石、切断砥石、研磨材、研磨紙布等の製造販売を目的として昭和三〇年五月二四日資本金五〇万円で設立された株式会社であり、被告は設立以来その代表取締役として経理・営業全般についての実権を掌握し、他の二名の取締役の協力のもとにその経営に当ってきたところ、昭和三七年六月頃、原告会社が仮差押を受けたりして倒産しかけたのを機会に、被告が再建策を相談した知人の推せんもあって、当時原告会社に対し約二〇〇万円の債権を有していた中尾箕乗(現在の原告会社の代表取締役)が原告会社の経営に参加することとなり、翌七月頃同人は経理担当の取締役として原告会社に入社した。

2、そして、原告会社の経営は、中尾が入社してしばらくの間は被告および中尾ら四名の取締役の合議によって行われていたが、その後次第に中尾が勢力を伸ばして原告会社の経営の実権を一手に握り、昭和三八年はじめ頃からは代表取締役印、手形帳、小切手帳も専ら同人が管理・使用するようになり、被告は、代表取締役といっても経理関係の帳薄すら思うように見ることができないありさまで、一般の営業担当社員と同じ立場で単に日本車輛外数社の得意先との営業面を担当するにすぎなくなった(もっとも、毎月の報酬額だけは被告の方が中尾より多かった。)。その後もこのような名実相伴わない状態が続いていたが、中尾は、昭和四二年六月被告も同席していた原告会社の取引先との会合で、原告会社の代表取締役になってもよいなどと述べたりしたこともあった。

3、ここにおいて、被告は、このまま原告会社にいたのでは早晩自分が名実ともに単なる営業担当社員となることを余儀なくされるのではないかと考え、かような気持から次第に原告会社から退社する気持を固めるようになり、昭和四二年七月一八日中尾に対し口頭で、原告会社をやめて新たに商売をはじめたいので、長年担当してきた日本車輛外一社の得意先を譲ってほしい旨申し出るとともに新会社設立の準備をはじめた。そして、これをめぐって関係者の間で何回か話合いが行われたが、中尾らは被告の申出を断り、辞意の撤回を求めるのみで、結局まとまらなかった。(被告は、中尾が被告において日本車輛と取引することを承諾したと主張するが、これにそう被告本人尋問の結果はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。)

4、しかし、被告の辞任の気持はかたく、昭和四二年七月二五日中尾に対し辞表を提出して新会社設立の手続を進め、同月二八日原告会社と同種の営業を目的とする日東機鋼具を設立してその代表取締役に就任するとともに、前記辞表による辞任の効力に問題を生ずることを慮り、改めて原告会社に対し、代表取締役および取締役を辞任する旨の書面を送付(同月三一日到達)し、翌八月中旬頃から日本車輛に研磨材等を販売するようになった。

5、なお、原告会社と日本車輛との取引は、個々の取引毎に日本車輛が注文を発することによって行われてきたところ、昭和四二年七月以降日本車輛から原告会社への新たな注文はなく、まったく取引が行われていないが、これは、被告が日東機鋼具を設立して日本車輛との取引をはじめたことのみによるのではなく、被告の辞任後原告会社が殆ど売込みに行っていないことにもその原因の一端がある。また、現在原告会社は、被告の辞任当時に比べると、業種をふやしたこともあって年間売上高は約二億四、〇〇〇万円に達し(昭和四一年四月一日から昭和四二年三月三一日までの売上高は約八、〇〇〇万円)、業績は著しく伸びている。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  そこで、以上認定した被告の行為が原告主張のように取締役の義務に違反するか否かについて検討する。

1、まず、被告が原告会社の代表取締役在任中に原告会社と同種の営業を目的とする日東機鋼具を設立しその代表取締役に就任した点について考えるに、現行商法は、取締役の競業避止義務に関しては同法第二六四条において具体的な個々の取引につき株主総会の認許を得なければならないと定めているのみで、支配人や代理商の場合と異り、取締役が他の会社の取締役または無限責任社員となること自体を禁止しているものではないと解されるから、代表取締役が会社と同種の営業を目的とする他の会社を設立し、その代表取締役となることもさしつかえないといわざるを得ない。

したがって、被告の右の行為をもって直ちに取締役の注意義務・忠実義務に違反するということはできない。

2、次に、被告が日東機鋼具の代表取締役として原告会社の営業の部類に属する取引を行ったとの点について考えるに、取締役の善管注意義務・忠実義務に服するのは、取締役または商法第二五八条第一項所定の取締役の権利義務を有する者に限られることはいうまでもないところ、前記認定のとおり、被告は右取引開始前に原告会社の代表取締役および取締役を辞任しており、取引当時取締役の地位になかったことが明らかである。また、≪証拠省略≫によれば、被告の辞任当時における原告会社の取締役としては被告のほかに、前記中尾、山田喬司、柴田一衛の三名があり、被告の辞任によって、法定の員数を欠くこともなく、また定款に定める員数を欠くに至るとの事実も認められない。それ故、被告が右辞任にかかわらず商法第二五八条第一項によりなお取締役の権利義務を有するということはできない。もっとも、右被告の辞任により原告会社の代表取締役に欠員を生じたことは前掲各証拠からこれを窺うことができるけれども、代表取締役の地位は当然に取締役の地位を前提とするものであるから、被告が既に取締役の資格を失い、かつ商法第二五八条による取締役の権利義務をも有しない以上、同法第二六一条第三項により代表取締役の権利義務を有すると解すべきではないと考えられる。したがって、被告は前記取引当時原告会社に対し取締役の善管注意義務・忠実義務を負うべき地位になかったといわなければならない。

3  最後に、原告は、被告が原告会社の代表取締役の地位を利用してその得意先を奪い自らの利をはかる意図の下に、中尾ら原告会社の取締役の承認を受けないで一方的な通告によって辞任した上前記各行為におよんだと主張し、これをもって取締役の注意義務・忠実義務違反の根拠の一つとする趣旨と考えられるのでこの点について検討する。

まず、辞任の点について考えるに代表取締役および取締役の辞任は単独行為であって、一方的意思表示によってこれをなし得ることはいうまでもないところ、被告の辞任は、前記認定の経緯に照らすと、ある程度やむを得ない事情があったと考えられるばかりでなく、当時原告会社の経営権は実質上中尾が掌握していたのであるから、原告会社にとって不利益な時期になされたともいえない。したがって、被告が原告主張の承認を得ないで辞任したこと自体は取締役の義務に違反したことにはならない。ただ、右の辞任に伴い被告の設立した会社の営業は、原告のそれと競業関係に立つものであり、また、右新会社の営業開始後には原告と日本車輛との取引は行われなくなったこともさきに判示したとおりであるけれども、被告において前示の事情で職を離れることになった以上、その生計をたてるため自らの職歴・経験を生かし得る途を選んだことはある意味では自然の成り行きともいうことができ、これによって原告と競業関係に立つとしても、そのこと自体を責めるのは酷に過ぎるであろう。新会社による営業の手段方法に法令もしくは信義則に反する不当な点がない限り(被告が原告会社の代表取締役であったことは信義則違反の有無の判断においても考慮されようが)、原告との間に生ずる利害衝突の関係については自由競争の結果として、法律上の責任を問い得ないものといわねばならない。しかして、前判示のように新会社による営業開始の時期も取締役の競業避止義務に違背しない時期が選ばれていることおよび前段(一)の5に判示した日本車輛との取引に関する事情をも考え合わせると、前記被告の辞任、新会社設立および右会社による営業を一連の事実として総合的に判断しても、右日本車輛に関する取引につき被告に法律上の責を問い得べき信義則違反もしくは取締役の義務違反があるとは断じ難く、一般不法行為責任はもとより原告主張の取締役の義務違反を理由とする損害賠償の責を問うことはできないというべきである。

4、そして、被告につき、他に取締役の義務に違反すると認められるような行為は見出し得ない。

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 丸尾武良 根本真)

〈以下省略〉

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